copy cats

コピーライター。阪神タイガースのこと。たまに、カレーライスのこと。サウナのこと。

【タイガースかく語りき】 失敗の美学。

 表現に勝ち負けはないというが、コピーライターには仕事を獲得できるか否かを決める「競合プレゼン」という試合がある。ポスターならビジュアル、CMなら映像の良し悪しも要因となるが、勝つために言葉が占める割合は大きい。たった一言から企画が広がっていくのだから、少しも手は抜けない。見てもらえるかもらえないかの目立たない言葉に、僕たちは何時間も費やし、何日も眠れぬ夜を過ごす。

 

 だからこそ、負けたときのショックは言葉にならないものがある。悪いのは自分の能力に他ならず。憎む相手も八つ当たりをする相手もいないんだから、この虚無感ったらない。試合である以上、負けた人間がいれば勝利を手にする人間もいる。勝ったのがその人間のおかげになったとしても、自分が負けたのはそいつのせいにはならない。そんなとき僕は、敗戦から学ぶことはあっても、負けていいことなんてきっと、ひとつもないのだと感じる。

 

 5月8日、神宮球場阪神のピッチャーが投げた2度の死球が、球場を不穏な空気で包んだ。

 

 6回裏、ツーアウト・ランナーなし。それまで無失点の好投を続けていた岩田が投げた一球は梅野のミットを大きく外れ、ヤクルト・青木の後頭部に直撃した。起き上がった青木は怒りの表情で岩田を睨み付け、両軍ベンチから選手・スタッフが慌てて止めにはいる事態に。当然岩田は危険球で退場となったが、青木の怒りの理由はそれだけではなかった。

 

 遡ること一年前。岩田には、8月19日の同戦でも青木への頭部死球で危険球退場になった過去がある。故意の死球とは思えないが、この背景が青木の、燕党の怒りを増幅させたことは間違いない。マウンドを去る岩田の背中に、お疲れ様と労うこともできず、前向きな言葉をかけることもできない。自分が応援する球団の選手といえども、ファンの心の中にも青木への罪悪感は存在していたのではないだろうか。

 

 

 危険球退場のルールは時に非情だ。ピッチャーはその場で相手に謝罪をすることもできず、かといって残りのイニングで続投し、汚名返上できるわけでもない。歩み寄るメディアには謝罪の言葉と次戦への前向きなコメントを残さないといけない。それでもきっと、この二人の対戦はこれからも何度も実現する。その度に観衆は身勝手な復讐劇のシナリオを描くのだろう。その時、リベンジマッチが用意されたマウンドには、セコンドもタオルも用意されていない。

 

 

 幸か不幸か、プロ野球というのは移動日を除くほぼ毎日が試合になる。落ち込みたくても、落ち込んでいる時間すら与えてもらえない皮肉な職業だ。だからこそ、負けや失敗から短時間で何かを学び、それが必ず活きてくるこのスポーツに、僕は美学を感じずにはいられない。

 

 

 逆転に次ぐ逆転のシーソーゲーム。中谷の逆転打で、長きに渡る激戦に終止符が打たれた。とはいかず、12回の裏に再び悲劇が起こる。ベンチ総動員で繰り広げられたゲームの最終回。マウンドを託された島本。2アウト・ランナーなしから投じた一球が、ヤクルトの若き主砲、村上の右腕に直撃した。

 

 岩田と青木の一幕から、ヤクルトナインの熱き想いが生んだとも言えるような、稀に見る好ゲーム。その最中でのこの一球。すまん島本、もうええわ。