copy cats

コピーライター。阪神タイガースのこと。たまに、カレーライスのこと。サウナのこと。

【タイガースかく語りき】 スポーツ紙のこと。

 ブログでも何度か記述しているが、僕の職業はコピーライター。主に広告のキャッチコピーなどを考えるのが仕事だ。もともと文章を読んだり書いたりするのは好きだったが、この仕事に就くとは当時の高橋少年は思いもしなかっただろう。

 

 

 職業柄か、日常生活で目にする日本語に敏感になる。立ち読みする雑誌や漫画の何気ない一言であったり、街中で見る「冷やし中華冷えてます」的なものまで、思わず膝を打つような一言には「やられた!」とか「それ、俺が書きたかった…」とか、嫉妬心が芽生えることもしばしば。

 

 

 良くも悪くも、長く書いていると色々な技術が自然と身につくもので、小手先の技術でもなんとなく書き上げることができるようになる。書き手として良くないことだと思いつつ、さっさと仕事を終わらせたいという脳の情報を受け取った右手は正直なもので、60%のチカラで書かれた言葉は、素敵なデザインで100%に昇華させていただいているということが多い。

 

 

 そんな中でも、僕には絶対に書けないと感じるものがある。それは、スポーツ新聞に並ぶ数々の言葉たちだ。

 

 

 野球ファンの方なら何度も目にしたことがあるだろう。僕の記憶をたどったうえで特に分かりやすい例を挙げると、例えば、広島戦で連敗が続くと「虎、重度の鯉(こい)わずらい…」とか、当時阪神で活躍した桜井広大がホームランを打ったときは「虎のサクラ満開!」とかとか。

 

 挙げればきりがないのだが、みなさんはこのタイトルを見てどう思うだろうか。「ただのダジャレやん」「俺でも書けるわ」とか「安易すぎ!」と感じる人も多いだろう。否!これは実はなかなか書けない(はず)。確かにダジャレでくだらないものもあるが、これをみて嫌悪感を感じる人は少ないはず。それに、この手の見出しを何度も見てきたが、飽きることは決してないのだ。

 

 振り返ると、あの「JFK」という言葉を生み出したのも日刊スポーツさんだし、木浪と近本のルーキーコンビの活躍に「キナチカ」と命名したのだってスポーツ紙ではないだろうか(詠み人知らず)。こんな風に、実はスポーツ新聞はたくさんの野球カルチャーを生み出しているのではないかと感じる。

 

 僕のつくる広告の言葉は、定着するまでに相当時間がかかる。世の中のロングラン商品は、何年もかけてその一言を定着させるために努力とお金を費やし続けてきた背景があったりする。しかしスポーツ紙にかかれば、一夜でひとつの言葉がファン全員の共通言語になってしまう。

 

 もちろん、それを好きな人が読む媒体なので定着する確率論は当然高いかもしれないが、そこには絶対的な言葉の力がある。決して上品ではないけど浪速の球団ならではの雰囲気と精神が根付いた言葉の数々。これは徹底的に球団のこともファン心理も研究しないと書けない。いやはや、脱帽です。

 

 そんな言葉に憧れて、何度かスポーツ新聞風のキャッチコピー(もろダジャレ)を企画で提案したことがあるが、いまだに一度も実施に至ったことはない。あのとき、スポーツ紙を片手にこの想いを熱く語れば、いまごろいろんな企業を阪神色に塗り替えることができたのかもしれない。それは言い過ぎかもしれないが、好きなことを共感してもらう技量というものを身に付けるのは、経験と愛情以外の何者でもないのだろう。

 

 最後にどうでもいい話だけど、「ノーバン始球式」とか「プロ入り初H」とか。あれ、絶対に目がとまりません?僕だけ?

【タイガースかく語りき】 失敗の美学。

 表現に勝ち負けはないというが、コピーライターには仕事を獲得できるか否かを決める「競合プレゼン」という試合がある。ポスターならビジュアル、CMなら映像の良し悪しも要因となるが、勝つために言葉が占める割合は大きい。たった一言から企画が広がっていくのだから、少しも手は抜けない。見てもらえるかもらえないかの目立たない言葉に、僕たちは何時間も費やし、何日も眠れぬ夜を過ごす。

 

 だからこそ、負けたときのショックは言葉にならないものがある。悪いのは自分の能力に他ならず。憎む相手も八つ当たりをする相手もいないんだから、この虚無感ったらない。試合である以上、負けた人間がいれば勝利を手にする人間もいる。勝ったのがその人間のおかげになったとしても、自分が負けたのはそいつのせいにはならない。そんなとき僕は、敗戦から学ぶことはあっても、負けていいことなんてきっと、ひとつもないのだと感じる。

 

 5月8日、神宮球場阪神のピッチャーが投げた2度の死球が、球場を不穏な空気で包んだ。

 

 6回裏、ツーアウト・ランナーなし。それまで無失点の好投を続けていた岩田が投げた一球は梅野のミットを大きく外れ、ヤクルト・青木の後頭部に直撃した。起き上がった青木は怒りの表情で岩田を睨み付け、両軍ベンチから選手・スタッフが慌てて止めにはいる事態に。当然岩田は危険球で退場となったが、青木の怒りの理由はそれだけではなかった。

 

 遡ること一年前。岩田には、8月19日の同戦でも青木への頭部死球で危険球退場になった過去がある。故意の死球とは思えないが、この背景が青木の、燕党の怒りを増幅させたことは間違いない。マウンドを去る岩田の背中に、お疲れ様と労うこともできず、前向きな言葉をかけることもできない。自分が応援する球団の選手といえども、ファンの心の中にも青木への罪悪感は存在していたのではないだろうか。

 

 

 危険球退場のルールは時に非情だ。ピッチャーはその場で相手に謝罪をすることもできず、かといって残りのイニングで続投し、汚名返上できるわけでもない。歩み寄るメディアには謝罪の言葉と次戦への前向きなコメントを残さないといけない。それでもきっと、この二人の対戦はこれからも何度も実現する。その度に観衆は身勝手な復讐劇のシナリオを描くのだろう。その時、リベンジマッチが用意されたマウンドには、セコンドもタオルも用意されていない。

 

 

 幸か不幸か、プロ野球というのは移動日を除くほぼ毎日が試合になる。落ち込みたくても、落ち込んでいる時間すら与えてもらえない皮肉な職業だ。だからこそ、負けや失敗から短時間で何かを学び、それが必ず活きてくるこのスポーツに、僕は美学を感じずにはいられない。

 

 

 逆転に次ぐ逆転のシーソーゲーム。中谷の逆転打で、長きに渡る激戦に終止符が打たれた。とはいかず、12回の裏に再び悲劇が起こる。ベンチ総動員で繰り広げられたゲームの最終回。マウンドを託された島本。2アウト・ランナーなしから投じた一球が、ヤクルトの若き主砲、村上の右腕に直撃した。

 

 岩田と青木の一幕から、ヤクルトナインの熱き想いが生んだとも言えるような、稀に見る好ゲーム。その最中でのこの一球。すまん島本、もうええわ。

かく語りき

 この街にはテレビがない。いや、実際にはある。

 

 

 僕の指すテレビとは「サンテレビ兵庫県神戸市のテレビ局)」のこと。その中でも阪神タイガースの試合を放送する「サンテレビボックス席」のことだ。関西人ならオープニング曲だけで胸の高鳴りを感じる人も少なくはないはずだ。いまだにタイトルすら知らないその曲は、小学生だった僕たちにとっては、市で放送する夕方6時のチャイムよりも効果的に帰宅を促す魔法のメロディーだった。

 

 

 地元関西を離れ早7年。あんなに身近にいた球団が、いまでは月額でタバコが4箱買えるお金を支払わないと、姿すら見ることができない距離にいる。虎党に市民権のないこの街では、阪神の試合を見るすべが地上波にはほぼ存在しない。

 

 

 僕の仕事はコピーライター。「言葉」というカタチがありそうでないものを武器に世界と戦っている。「キャッチコピー1行で100万円」という時代は古の夢物語であり、実際は朝から深夜まで机に座って紙にペンであーでもないこーでもないを自問自答する、陰気で気が狂いそうになる作業だ。

 

 

 この肩書きが名刺に刻まれた瞬間から、僕と阪神タイガースの距離はさらに遠くなった。ナイターが始まる夕方6時は、あの曲が流れスターティングメンバーに一喜一憂する時間から、一日の雑務を終え、キャッチコピーやテレビCMの企画作業を開始する時間になった。デスクトップの右端に小さく開かれたDAZNの画面(こうして表示していないと後ろを通る同僚に野球を見ていることがバレてしまう)、radikoのエリアフリーで聞く放送も、集中力散漫の性格の僕にとっては、業務を邪魔する存在になってしまうのだから皮肉なものだ。

 

 「なんか、泣ける企画でよろしく!」という、こっちが泣きたくなる無責任な置き土産を置いて帰宅する上司の背中を見送り、今日も僕たちの深夜業務が始まる。相手の顔ではなくデスクトップを見つめて会話をする時間はどこか不気味で、オフィスに置かれた業務用コーヒーの味が舌にこびりついて、僕の舌は阪神カラーになっていく。

 

 

 ナイター放送はおろかスポーツニュースもシャッターをおろしたころ、SNSで今日の試合の結果を知る。このときには勝っても負けても正直どうでも良い状態になっている。負けたときに感じる悔しさを知っているから、あえて興味のないフリで自分を欺こうとしているのだと思う。

 

 

 そんな帰り道に僕は、阪神ファンとはなんと意地悪で愛おしい存在なのだろうと思う。ドラフト会議が終われば開幕オーダーを予想し、新助っ人外国人を「バースの再来」と呼び、オープン戦で期待値を最大にするくせに、シーズン中の敗戦には、戦争から無事帰ってきたことに「恥を知れ!」と罵るぐらいの右寄りのヤジを飛ばす。勝てば官軍、負ければ賊軍。

 

 

 でも、阪神の応援をやめたいと思うことは一度もない。翌日にはケロッとチャンネルを野球中継へ変え、またヤジを飛ばす。大敗したら、昔話を肴に盛り上がる。バックスクリーン3連発、新庄の敬遠球サヨナラ、野村監督の暗黒時代…阪神ファンには、全試合が思い出になる。

 

 

 僕たちきっと、阪神という球団も、それを応援している自分たちのことも好きなのだと思う。だからこそ、試合観戦は生活の一部になっている。そりゃあ応援をやめれるわけがない。明日も放送を見ないわけがない。阪神ファンになったことは運命であり、この球団は死ぬまで付き合っていく永遠の伴侶なのだ。

 

 

 

 SNSを閉じ、新たな調べ物をする。冒頭で話した曲は「Spring Lady Bird」という曲名らしい。さらに調べると、作曲を手掛けた渡辺宙明氏は御年93歳の作曲家。そして出身が、いまの僕の居住地である愛知県名古屋市とのこと。これも運命か?と、また胸が熱くなった。